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2007年は、また年初と年末で大きく公私共に
環境が変化した一年でした。
これまで振り返ると2年おきに劇的に状況が変るのですが、
本来、一つのことを極めたいという、職人的な仕事向きな
タイプと自己分析していますが、違うタイプの仕事ばかりです。

2008年は、『私』については既に劇的に変る状況が用意されていますので、
さてどうなっていくのでしょう・・
前向きに楽観的に考えています。
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by kenjimasamunecat | 2007-12-31 07:25 | 日々 | Comments(0)
行きそびれたなー。機会があれば。
長澤さんは、12(13?)歳で
幕末・明治に海外へ行ってそのまま
事業を興してって、その困難さを
考えると、本当に尊敬いたします。
一代で散るのも日本的か。


おいしそうなChardonnay

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日本で買えるのかなー。
無理そう。

パラダイス・リッジ・ワイナリー  Paradise Ridge Winery については
カリフォルニア州観光局にも簡潔な次のような説明があります。
ソノマの入口、サンタローザにあるワイナリー。ここは江戸末期に薩摩に生まれ、若くして渡米し、サンタローザにワイナリーを開いた長澤鼎(かなえ)が開いたワイナリー。ブドウの研究を続け、のちに「カリフォルニアのブドウ王」と呼ばれるようになった彼の記念館が併設されています。限定生産されるワインだけでなく、晴れた日には太平洋も望める、景色のよさも、このワイナリーの魅力のひとつ。
http://www.paradiseridgewinery.com

OPEN FOR SALES & TASTING DAILY FROM 11 - 5*
*Winter Hours January thru March: Sales & Tasting Friday–Monday 11-5. Last tasting at 4:45 daily.

Picnicking in Paradise - With your wine purchase, you may picnic during regular hours on-site depending on availability due to private events. Groups of 10 or more guests - please call in advance.

Please contact us at Paradise Ridge Winery

4545 Thomas Lake Harris Drive
Santa Rosa, California 95403

Telephone : 707.528.9463
Fax: 707.528.9481

Email: info@prwinery.com

Directions From the South
Highway 101 North. Exit Bicentennial Way. Go East. Pass through four stoplights, Bicentennial will merge onto Fountaingrove Parkway. Second left onto Thomas Lake Harris Drive. Paradise Ridge Winery gate is 7/10 of a mile on the left.


NAGASAWA Winery跡地が公園になったというニュースがありました。
そして長澤さんと一緒に留学していたメンバーがスゴい。

幕末の薩摩藩英国留学生で、米カリフォルニア州サンタローザ市にブドウ園をつくり「ワイン王」と呼ばれた長沢鼎(かなえ)のワイン醸造所と農園跡地が、「ナガサワ・コミュニティー・パーク」として整備されることになった。市当局は命名理由を「長沢の貢献を称賛するとともに、恩返しの意味もある」としている。

薩摩藩が派遣した19人の英国留学生からは、正確には15名の留学生と4名の使節団ですが、長澤鼎のほかに、後の初代文部大臣の森有礼、文部大臣、外務大臣を歴任した寺島宗則、大阪商工会議所を設立し、初代会頭となった五代友厚、サッポロビールの創始者の村橋久成などといった、明治維新後の近代日本の立役者を多数輩出しました。

薩摩藩がこれら19人をイギリスに送ったのは1865年のことです。この背景には、1862年の生麦事件*を発端としてその翌年薩摩藩とイギリスの間で起きた薩英戦争があります。生麦事件に対する賠償金の支払いを拒否した薩摩藩に対して、イギリス軍は軍艦7隻を率いて錦江湾(鹿児島湾)に進入し、鹿児島市街地を報復攻撃しました。このとき、島津斉彬の指揮で建設された近代産業の拠点である集成館も壊滅的な被害を受けました。
イギリス軍の大砲の飛距離は当時の薩摩藩のそれの3倍と、技術の差は明らかでした。しかし、薩摩藩は大砲の配置を工夫することでこれに対抗し、死傷者が薩摩藩側の9人に対してイギリス側は艦隊3艇が破壊、内1艇が大破し、63人と大きな被害を与えました。双方ともに損害が多く、薩摩藩は大久保利通らをイギリスに派遣して和議を結び、生麦事件に対する賠償金の支払いと犯人捜査を約束しました。

しかし、この事件を機にイギリスと鹿児島藩の距離は急速に縮まります。鹿児島藩は欧米の近代国家の圧倒的な軍事力を知り、それまでの攘夷論を捨て、積極的に開国論を論じていきました。一方でイギリスは薩摩藩の強さを認め、それまでの徳川幕府優先の方針を転換して薩摩藩と提携を結びました。これがきっかけとなり、イギリスは薩摩藩から19人の留学生を受け入れることになりました。厳重な鎖国令が敷かれる中、命をかけた留学でした。因みに鹿児島市のJR中央駅前広場には、これら留学生の銅像が建っていますが、実は17人しかいません。残りの2人は薩摩藩の出身ではないとの理由で(土佐藩と長崎県)、写真のみで紹介してあります。普段、中央駅で何気なく目にする、あるいは目にも留めない銅像ですが、一度じっくり眺めてみてはいかが? 

*生麦事件
1862年8月21日、薩摩藩当主・島津久光の大名行列が生麦(現在の横浜市)に差し掛かった際、イギリス人4人が騎馬のまま行列の前を通過しようとしたのを怒り、従士が殺傷した事件。
http://weeklykagoshima.chesuto.jp/e14551.htmlより引用させていただきました。

Nagasawa, Kanaye
長澤鼎
(1852-1934)

 本名、磯永彦輔。慶応元年の薩摩藩秘密留学生の一人にしてトマス・レイク・ハリスの弟子。もっとも数奇な運命をたどった明治人の一人。写真の前列右端が12歳当時の長澤。

 天文方の家に生まれ、幼少時より学術優秀と評判を博す。生麦事件から薩英戦争をへて薩摩と英国が手を結んだ結果、薩摩から英国に秘密留学生が送られる際、、若干12歳ながら選抜される。秘密留学生ゆえにこのときから長澤鼎という偽名を用い、それが一生の通名となっている。

サンフランシスコから金門橋を渡って101号線を北へ約70キロ、ソノマ郡サンタローザの丘陵を見渡す小高い丘にパラダイスリッジ・ワイナリーがある。観光客人気の近隣ワイナリーと異なり、ここは地味な門構えで受付も訪問客ツアーもない。試飲カウンターで見学を申し入れると、係員が階下にある長澤鼎(かなえ)の展示場への扉の鍵を開けてくれる。
 長澤鼎は、1852年に薩摩藩士の四男として生まれ、13歳の若さで鎖国下の日本から欧米列強の文物を学べとの薩摩藩の密命を帯びて英国に渡った。その後長澤は、数奇な運命からアメリカに渡り、侍魂と勤勉によりカリフォルニアでブドウ栽培とワイン造りで成功する。彼は、サンタローザの広大なファウンテングローブ農場とワイナリーの主として地元住民から「葡萄王」として尊敬を集めた。葡萄王の遺品や写真は、この地にその後建てられたパラダイスリッジ・ワイナリーの一角にひっそりと展示されている。建物としては唯一現存する円形納屋(写真)だけが当時の壮大な農場の面影を残している。
 昨年10月、在サンフランシスコ総領事館で長澤鼎の特別展示会を開催した。上述のワイナリーの常設展示品を借り受けたほか、サンタローザ市や長澤の縁者からの出品も得た。長澤研究の第一人者である門田明鹿児島県立短期大学名誉教授に記念講演もお願いした。日米交流150周年にあたり先人の偉業を偲び、その現代的意味を考える機会となった。

長澤は、アメリカに永住した最初の日本人として、まさにパイオニアとしてカリフォルニアの地で自らの道を切り拓いていった。初の日本人ワインメーカーとして成功した長澤は、自らの所有するファウンテングローブ・ワイナリーをカリフォルニア州10大ワイナリーのひとつにまで育て上げた。カリフォルニアから英国へ最初に輸出されたワインは彼のワイナリーからであった。長澤が住み始めたころのカリフォルニアは、ゴールドラッシュ(1849年)と大陸横断鉄道開通(1869年)を経て活気あふれる環境であった反面、中国人排斥法など人種差別の動きが顕在化していく時代でもあった。この地における長澤の60年にわたる生き様は、その後の日系移民たちの成功と逆境のさきがけとなったともいえよう。現在30万人ともいわれるカリフォルニア州の日系人が同州の大切にする多様性を構成し、活躍する姿は、長澤にその源流を求めることができよう。

長澤は、鹿児島から渡英、渡米した仲間(その中には維新政府で活躍する森有礼や鮫島尚信などがいた。)が次々と帰国する中、サンタローザにとどまり、排日運動が高まる20世紀初頭にもこれに耐え、83歳で亡くなるのである。彼の死後、莫大な土地財産は排日土地法等のため相続できず他人の手に渡ることになってしまう。長澤は何故そこまで異国のこの地に執着したのか。苦楽を共にした人々に対する責任感と事業を盛り立てる使命感が長澤を突き動かしていたのではなかろうか。ここには多くの日系移民一世たちを駆り立てたと同様な強固な意志が見て取れる。サンフランシスコ郊外コルマにある日系人墓地には、ゼロから始めて粉骨砕身の上、「ライス王」や「ポテト王」と呼ばれるようになった日系一世の先人達が眠っている。先人の努力とそれを引き継ぐ日米双方の関係者の活躍によって、カリフォルニアにおける日本の存在は大きい。海外からの直接投資額は日本がトップで全体の約四分の一、日系企業の雇用者数も14万を超えている。同州からの輸出先でも日本がメキシコに次いで第二位(全体の約13パーセント)となっている。昨年11月にシュワルツェネッガー州知事が初の大型経済ミッションの訪問先として日本を選んだのも、このような日本の存在感が背景にある。

長澤は、日本からの移民の先駆者として日本人移民に対する門戸を広げるよう運動するなど日米民間交流に尽力した。1890年に約千人であったカリフォルニアの日本人人口は、20年後には4万人に増大した。彼の質実剛健な性格と誠実な人柄は、地元住民から大いに敬愛された。長澤がまいた種は、日系移民の成功のほか、現在、サンタローザと鹿児島の両市民間の交流という形で結実している。日米間には435の姉妹都市関係があるが、うちカリフォルニア州には全米最大の95もの対日姉妹都市関係があり、日本との草の根交流が活発に行われている。これも長澤に始まる日系人の豊かな歴史と対日関係があるからこそである。

本年は、当地のジャパン・ソサエティーが創立百周年の節目の年を迎え、記念行事が予定されている。百年前の1905年は、53歳となった長澤鼎が日本人パイオニアとして、使命感を持って、日米間の架け橋となるべく活躍した時代である。今日の我われが長澤鼎から学ぶべきことは多いのではなかろうか。 

(外交フォーラム2005年3月号から転載)
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by kenjimasamunecat | 2007-12-30 08:04 | 日々 | Comments(0)
政治的に正しいかどうかは置いといて
メリークリスマス!

今年は手作りケーキにしてみました。
といっても、知る人のみ知る
秘伝のレシピの、オリジナル
ベイクドチーズケーキを久しぶりに作りました。
きっかけは、14年前にアメリカに居た時に、
あまりのケーキのまずさ(甘さ)に堪えかねて
これは自分で作るしかないと思い立ったのが
原点です。
そのときは、休みの日は毎日、味を追求するため、
チーズケーキを作っていました。
その結晶の、
材料はシンプルです。

クリームチーズ

無塩バター
クラッカー
小麦粉
ナツメグ
シナモン
生クリーム
グラニュー糖
あと秘密。

レモン風味のがよくありますが、
あれは好きではありません。

これを食べるとチーズケーキに関しては
市販のを買う気がしなくなります。
自分の好みに合わせて調整していますので
当たり前ですが・・・・

引退後はチーズケーキの店を
やるのが目標です。

そういえば、
サンタクロースはやってきましたでしょうか?
我が家には来たようです。
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by kenjimasamunecat | 2007-12-26 01:25 | 日々 | Comments(0)
興味が移ってきました
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by kenjimasamunecat | 2007-12-20 23:41 | 日々 | Comments(0)
ウォークインクローゼットに入って
隠れるという遊びが、流行っている関係で、
そこにたまたまスラムダンクがまとまって
置いてあったので、何気なく23巻を手にとって
しまったら、そのまま31巻までジェットコースター
でした。面白い。
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by kenjimasamunecat | 2007-12-20 23:28 | 日々 | Comments(0)
いけないことをしたりだめなことをしたり
痛いことをしたりするときは、
笑って済ませるわけにはいかず、
『かなしーな、そんなことするなんて』とか
『いたいよーいたいよー』と訴えたり、
いろいろしています。
そして
『わかった?』って最後尋ねるのですが、
なかなか『わかった。』とは言わない。
意味は良く知っているのに、言いたくないのだ。
さらに、『ごめんなさい。』って謝る事も教えているが、
これも謝るまで時間がかかる。ようやく言ったかと思うと
言葉が不明瞭に『#$%&なさい。』(言えない訳ではなく わざと)
だったり、きちんと言っても『ごめんなさい』と蚊の泣くような声で
言うのだ。
すでに欧米化!?
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by kenjimasamunecat | 2007-12-20 23:27 | 日々 | Comments(0)
すぐに、『これ、みる』ってビデオテープを持ってきます。

でも、画面を見る時間の方が少なく、
見ていないならって 朝のニュースに変えると

怒ります!

だって見ていないのにー。

それならということで
それと2画面機能で、分割して見ようと設定すると
テレビ画面の前で、両手を広げ、
1画面に戻せって要求します。

いーじゃん、半分見せてくれても・・・
どーせ見ていないのだし・・・

情報が入れない朝です。
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by kenjimasamunecat | 2007-12-13 00:51 | 日々 | Comments(0)
口呼吸でよだれも多量。

金曜日が昼寝なしで夕方6時半まで、12時間起きて、
遊び続け、翌日の土曜日が結婚式でこれまた
朝の7時から夜の8時まで起き続けたりしたので
その疲れが出たのか、火曜の朝から発熱。

もしくは、インフルエンザの月曜にやった予防接種のせいか。

火曜の日中は、鼻はでるが、動きはいつも通り。

火曜の夜は食欲もなく、水分以外はほとんど食べず。
食べたわずかなものも、みかん一切れとかも
夜9時半に起きて、吐いてしまった。
またすぐに寝ましたが・・・

水曜の昼も、騒げるくらい元気。

でも、病院のクスリをもらうことにします。
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by kenjimasamunecat | 2007-12-13 00:46 | 日々 | Comments(0)
急に冷えて冬になってきましたが、マンションの中は
まだ秋の入口程度。
いまだに朝の6時で、暖房なしで20℃あります。
19℃台になったのもいままで2回だけ。
エアコン暖房もまだほとんど使用せず。しかも
石油系暖房は使っていませんので、間接的にしか
原油暴騰のダーメージはありません。

ただ実家は、ちょっと前の一戸建てで室内温度は
外気温と同じ。暖房をがんがんやって温まりますが
消すとあっというまに外気温という非効率さ。

日本の冬は寒いのだから、窓をペアにするとか内窓をつけるとか
断熱材を床につかうとか、いろいろ熱効率をあげる工夫をすれば
もっといろいろ補助金とか免税になる政策をすればいいのにと
真剣に思います。
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by kenjimasamunecat | 2007-12-13 00:36 | 日々 | Comments(0)
名前を呼ぶと
右手(または左手)を、指を1つの形にして
『しゃーっ』って言います。
突然、はじまりました。

それまでは、
普通に『はーい!』って返事できていたのに・・

こちらも真似すると超ウケていました。
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by kenjimasamunecat | 2007-12-13 00:25 | 日々 | Comments(0)